今年度,第1回目のキャンパス・コンソーシアム函館の合同公開講座「函館学2020」を,8月22日(土)に函館大谷短期大学で開講しました。
今回は,「北海道開拓のはじめの一歩!『本願寺道路開削の背景』」というテーマで,函館大谷短期大学の福島憲成学長に講義をしていただきました。
初めに本願寺といえば、本州では西本願寺が主流であるが、北海道では東本願寺が主流となった背景の話があった。これには、徳川家康が本願寺の勢力を恐れ東本願寺を建立したことと、松前藩の関わりがあった。
明治政府は北海道の開拓のために開拓使を設け、その本府を札幌に置くことを計画し、東本願寺に道路の開削をお願いした。
本願寺道路は、今から150年前の明治3年に明治政府の意を受け着工し、明治4年にわずか1年で開通した北海道開拓道路の第一号道路で、「本願寺街道」ともよばれる。この街道は、軍川(七飯町)から砂原と、伊達から平岸(札幌)を中山峠越えで結ぶ街道であった。(砂原と伊達間は海道)
この道路の工事には、橋を造る技術を持っていた伊達藩の武士と先住民であるアイヌ人の土地勘と多数の労力があって完成することができた。
苦労して完成した道路であったが、その後来日した開拓顧問のホーレスケプロンによって輸送力を上げるため平坦な札幌本道(現在の36号線)の完成により、2年後には敬遠され荒廃となった。
その後,昭和25年に北海道庁により重要な街道230号線として再生された。
など,本願寺道路開削の事情、東本願寺の幕末の状況、松前や箱館の歴史的背景を,分かりやすく,詳しくお話をしてくださいました。
参加した約60名の受講者は,最後まで,熱心に聞き入っていました。
「函館学2020」は,全講座すでに定員を超えた申し込みがあり、キャンセル待ちの状況となっております。大変ありがとうございました。
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