函館から北海道一周の旅!その②出発〜日本最北端まで

極東

2019/07/03

こんにちは!ロシア極東大学函館校3年生の Лёва(リョーヴァ) です!

前回に引き続き、北海道一周の旅をお届けします!

今回は函館出発から、日本最北端「宗谷岬」までの道のりを、乗り換え駅とその町様子と共にご紹介します。最北の地で感慨に浸った私の気持ちは、極東大生や歴史好きな人にはきっと伝わるんじゃないかなと思います。

1日目

函館から出発

春休みとはいえ、北海道は3月下旬になっても、雪が降ってまだまだ寒い時期でした。

朝8時に函館駅を出発です。

列車は一両!のんびりと走っていきます。

 

函館から3時間列車に揺られ、長万部駅に到着!

長万部(おしゃまんべ)

函館から札幌へ向かう際はここ長万部で室蘭方面と小樽方面に分かれるため、古くは人や物の流れが集まる地として栄えました。

長万部駅です。長いホームに1両の列車。雪景色も相まって少し物悲しさを覚えます。

海岸線と砂浜の美しさが印象的でした。

長万部の砂浜。この日は一日中曇った天気でした。

 

そして昼過ぎに長万部を出発し、小樽方面へ向かいます!

1時間ほど列車に乗り、その途中の倶知安駅で乗り換え。

倶知安(くっちゃん)

羊蹄山(ようていざん)という山のふもとに位置します。この山は別名「蝦夷富士(えぞふじ)」と呼ばれるほどきれいな山なのですが、この日は雲がかかっていて見えませんでした…

倶知安駅を午後3時に出発!小樽を経由し札幌へ向かいます。

そして夕方5時、札幌に到着!1日目はここまで。
函館を出発してから各駅停車で乗り換え含め、約9時間の道のりでした。

札幌・旭山記念公園からの景色です。函館に劣らず綺麗でした。

2日目

朝10時頃に札幌を出発。この日は北へ向かいます。

雪景色が続きます。夏の景色もいつか見てみたいです!

 

札幌から5時間。名寄という町に到着。

名寄(なよろ)

名寄市は綺麗な星空で有名で、大きな天体望遠鏡があります。「ひまわりの町」としても知られており、8月になるとヒマワリの花が街のあちこちに咲くのだとか。

2日目の移動は約5時間と短めでしたが、この町で一泊し、翌日からさらに北を目指します。

3日目

朝の8時に名寄を出発!

いよいよ日本最北端、宗谷岬を目指します。
名寄から1両編成のディーゼルカーに乗り、さらに北へ。

1時間ほどで、音威子府駅に到着します。

音威子府(おといねっぷ)

人口800人にも満たない、北海道で最も人口の少ない村です。

この村の名産は「音威子府そば」。なんでも、麺が真っ黒なのだとか。

駅構内のお店です!訪れた時期は休業中でしたが、現在は営業しているようです。

 

この音威子府からは列車でも稚内まで行くことができるのですが、実はもう一つ、あまり知られていないルートがあります。

それがこの「宗谷バス 天北宗谷岬線」という路線バス。

路線全長171㎞という全国的に見ても長距離の路線バスです。音威子府からオホーツク海沿いを通り、稚内まで通じています。今回はこのバスに乗り、宗谷岬を目指すことにしました。

春目前のオホーツク海。風が強く、荒れ模様でした…笑

 

バスに揺られること約3時間、ついに宗谷岬に到着です!

日本最北端の地・宗谷岬

バス移動中は曇り空だったのですが、岬に到着する頃にはすっかり雲も切れ、青空が見えていました。

「日本最北端の地」のモニュメントです。せっかく北海道の大学に進学したので、一度は来たいと思っていました。

宗谷岬からロシア・サハリンとは宗谷海峡をはさんでわずか43キロしか離れていません。快晴ならばサハリンの島影も見えるそうですよ!

宗谷岬の売店にはなんとマトリョーシカが売られていました! さすがは日本一ロシアに近い場所…笑

最北の地で思うこと

日本で一番ロシアに近い場所と言っても良い場所である宗谷岬。
ここにはロシアと日本にゆかりのある人物の銅像が建てられています。その人物がこちら。

間宮林蔵(まみや りんぞう)さんです!

間宮林蔵の樺太探検

間宮林蔵が残した功績は、何といっても樺太探検、そして間宮海峡の発見です。

極東大生はこの辺勉強するのでちょっと語ります。

1808年4月13日(旧暦。現在の5月8日)、林蔵は当時詳しい情報がなかった樺太の探検・測量を幕府に命じられ、同僚1人とともに樺太探検に出発しました。彼らは約3か月の期間で、現地の先住民との接触や土地測量などの任務をこなし、稚内へ帰着しましたが、

 

樺太は島なのか、大陸の一部なのか

 

この疑問を解決することまでは出来ませんでした。これで探検は終了かと思われましたが、林蔵はあきらめません。帰着から20日後、なんと単身で2回目の樺太探検に向かいます。

2度目の探検は約1年間に及びました。そして、彼はついに樺太とユーラシア大陸との間に海峡があることを発見し、自ら大陸へ渡ることでその存在を証明したのです。

探索を進めるにあたり、彼は現地のアイヌ人たちの力を借りました。

 

なんと林蔵さん、アイヌ語も話すことができたのです!

 

岬から歩いて15分ほどのところには、林蔵が樺太に向け出港した場所を伝える石碑も残っています。
200年以上も前に彼はたった一人で稚内を出発し、日本、いやその当時世界初というべき大発見を成し遂げたのです。

「間宮林蔵 渡樺出港の地」碑。

極東大函館校で学んでいたから感じられたこと

私の通う極東大函館校では1年生時に「日ロ関係史」という科目があり、日ロ交流の歴史や北海道とロシアの関わりなどを学びます。間宮林蔵についてもその時学びました。

宗谷岬へ到着した時、日本最北端に来たという感動ももちろんありましたが、その学びのおかげで間宮林蔵の功績やその偉大さをより深く感じることができました。

日本最北端から見る夕日。移動の疲れも吹き飛びました。

 

夕方6時のバスで宗谷岬から稚内市内へ。

 

稚内へは約1時間で到着。前日にインターネットで予約を取った宿に入り、3日目は終了です。

 

ここまででも全旅程の3分の1弱。北海道一周の旅は長い!
次回は4日目〜!続きをお楽しみに!