信条は3つの意『創意、誠意、同意』【函館高専OB】弘前市長 葛西憲之さん

高専

2017/12/05

1962年の高等専門学校第一期校としての設置以来、函館高専からはたくさんの技術者が社会に貢献してきました。
今回はその中のお一人である、弘前市市長葛西憲之さんを取材させていただきました。


葛西 憲之さん


  • 国立函館工業高等専門学校 土木工学科1期生
  • 平成19年12月 弘前市副市長に就任
  • 平成22年4月16日 弘前市長に就任  現在2期目

 

Q.なぜ青森から、当時まだ校舎がなかった函館高専に進学しようと思ったのですか。

A.校舎はまだありませんでしたが、仮の校舎は決まっていました。千代台にある旧軍の兵舎を活用させてもらっていました。そこはとても古く、廊下はギシギシ鳴り、強く踏むと破れるくらい劣悪な環境でした。
高専の制度ができた昭和37年頃は、日本全体が貧しくて5年間で高校・短大と同じ資格を持てる高専は、家計のことを考えるとすごく魅力的でした。その当時は、入学金が1000円、1か月の授業料が600円、寮費が5000円で、寮生活にも憧れていましたし、親にも負担をかけたくないという思いがあり入学しました。
高専の制度が全国に展開していっても、青森県は八戸市と青森市が誘致を争い1年間開校が遅れました。それに加え、函館は昔からの憧れの地であったので、函館高専を選びました。

 

Q.土木工学科を選んだ理由は何ですか?

A.小学生の時に見た「小学生年鑑」というのに目屋ダムの建設が載っていて、スケールの大きい仕事だなという想いがずっと残っていました。自分もスケールの大きい仕事をしたいと思って、土木を選びました。

 

Q.当時の函館高専の学校の様子を教えて下さい。

A.学校生活では1期生なので先輩がいないということで、学生会の運営スタイルなどを自分達のオリジナリティで行っていました。学校行事の高専祭などはみんな無我夢中・五里霧中で、どういう風に高専祭をやればいいか『他校とは被らないオンリーワン』を考えていました。高専祭は1番印象に残っています。
函館高専はモデル校にも指定され、学校生活をとてもエンジョイしていました。

 

Q.当時の函館高専の寮生活の様子を教えて下さい。

A.寮生活では中学校を卒業したばかりでも、親元を離れて自活をしなければならないということで『自我が芽生えた』という感じでした。自分で何でもしなければならないという環境は、不安でもあり楽しいことでもありました。
当時は湯の川温泉に寮があり、旧国鉄の寮を使用し、温泉もあり快適でした。全員詰襟の学生服を着て、全員が揃ってからでないと朝ごはんを食べられませんでした。また、門限が8時で厳しかったです。
当時の1期生は、それぞれが地域の代表という思いがあり、とてもよく勉強していました。寮生活の5年間は色々な人との個性のぶつかり合いで、色々な体験もでき、寮生活そのものがどれほど人間形成に役立ったかわからないくらい素晴らしい5年間でした。新しい校舎になっても旧校舎・旧寮の方が思い出深く残っています。誰にも負けないという思いから、今の1期生の資質は磨かれたと思います。

 

Q.今の仕事に就こうと思ったきっかけはなんですか。

A.元々は民間の大手土木建設会社で働いていました。土木の技術者として最初は東名高速道の現場など、とにかく現場の仕事が多かったです。ですが、母のために青森に戻ってきました。
青森県に帰って何をやれるかと思った時に、やっぱりスケール感の大きい仕事がしたいと県庁に入庁しました。道路関係の仕事が多かったですが、その後は港湾や空港、都市計画など色々なことをやってきました。技術者としての魂はその時に培ったなと思いますね。最後は県土整備部長として退職しました。
その後3つの道路公社・都市開発公社・住宅供給公社の理事長を兼ねてから、すぐに弘前市の副市長にどうかと招かれて副市長になりました。
「この地域はこれまでの原型を活かし、持続可能な地域にしていかなければならない」という自分の思いがあり、市長という職にチャレンジすべきだと考え立候補しました。
その心情には、ある武道家の「実践なくば証明されず、証明なくば信用されず、信用なくば尊敬されず」という言葉の実践を通して、自分が色々な成果を上げてきた、また我々の仲間がどんどん育って様々な技術を通して色々な地域社会の課題を解決してきたという自負がありました。そして、そういったことを通して尊敬される街を作りたいというものです。結果、平成22年の4月に市長に就任しました。現在は2期8年目です。

 

Q.高専生に一言お願いします。

A.人に喜ばれる物、技術的に優れている物を生み出していくことの重要さに早く気づいてほしい。決して独りよがりにならない、将来誰にとっても使い勝手のよいもの、そういうものを技術者として作ってほしいと思います。一番大事なことは思い描いたことを最後まで決して諦めないことだと私は思っています。
私の信条は3つの意で『創意、誠意、同意』です。自ら発想して独創的オリジナリティを出していくこと、それを誠実に実行すること、自分独りよがりにならずに様々な人の意見を聞いて同意を持って進めていくことが技術者には必要だと思います。
色々な生き方があるので若いときは若者らしく、とんがった技術や生き方も大事だと思います。独創的でありながら、誠意を持って、他者の理解も得ながら物事を進める、そのような生き方をして尊敬されるような技術者になってほしいと思います。

 


取材を終えて・・・

OBの方に昔の函館高専の様子を教えていただけるのは、とても興味深く貴重な体験でした。

今回は卒業生が来校する「ホームカミングデ―」を機に取材を申し込むことができました。また、ホームカミングデーの講演の中で、”はこだてクリスマスファンタジー”で”ひろさきナイト”を1日だけ行っていることを知りました。
今年はぜひ行ってみたいと思います。