追跡!江差姥神大神宮渡御祭②
教育
2016/08/03
こんにちは!
皆さま、前回の第1シリーズの投稿はみていただけましたでしょうか??
見た方!お待たせしました!追跡第2シリーズです!
見てない方!まずは第1シリーズへGO!!祭りの背景と人々の思いが詰まってます!
第2シリーズはズバリ、「渡御祭の中身」についてです。
姥神大神宮渡御祭の場合はいったいどのような渡御なのでしょうか??
まず、今回とりあげる姥神渡御祭の用語を少し説明します。
「山車」:「ダシ」と読んだそこのあなた。江差町民に怒られます(冗談です)。「ヤマ」と読みます。由縁は北前船にのってやってきた上方、京都は八坂神社の祇園祭の山鉾(やまほこ)だといわれています。このヤマの上にトドマツ(ヒノキの場合もあるようです)を立てて神様の依代(よりしろ:神様の来るところ、神域)とするのです。その木の前に武者人形などを立てることで、ヤマの警固や守護、化身とします。ヤマを持っている町会は現在13あり、およそ1つのヤマの長さは引綱を含んで25mで、車間距離が40mほどになるとか。これが13台あってさらにヤマの前後には御神輿等が並ぶため全体の巡航行列の長さはおよそ1kmにも及びます。ものすごい規模の巡行行列になりますね。
「祭囃子」:お祭りの音楽。笛や太鼓を使用。囃子は各ヤマごとで違います。それぞれのヤマの伝統を、先輩から後輩へ代々受け継いでいます。だから囃子の楽譜みたいなものはあまり、ありません。自分の耳に残ってる囃子と、先輩からの伝達で渡御祭の祭囃子は構成されているのです。
これが練習風景。練習時間は各ヤマによって異なりますが、この日は夜6時半ころから一斉に始まり、遅いところは9時ころまで練習をしていました。ちなみに太鼓を経験しないと、笛の奏者にはなれないそうです。子供たちだって出世には苦労が必要なんです。過去の時代には、女性は演奏してはならない時代もあったようですが、時代の流れもあり、現在では男女混ざって演奏をします。練習開始前は友達とおしゃべりをしたり、スマートホンをいじったりと自由に時間をすごしますが、練習が始まると表情は一変します。
「もっと手はまっすぐ上にあげて!」
「ちょっとテンポ早いよ!!」
と指導役から声が飛んできます。ちなみにこの指導役、中学生や高校生が務めることもあれば、大人が務めることもあります。そしてこんなことを質問してみました。
「みなさん、渡御祭は楽しみですか?」
そしたらもう、ハイ!やらウン!やら返事の仕方は様々でしたが、ものすごく目を輝かせながらみんな答えてくれました。
他にももっと役職はありますが、大量な情報量になるので、渡御祭直前に図解付きで説明しますね。
続いて、この渡御祭の運営の仕組みについて。
実は、行政はあまり関与していないのです。地域が中心となった実行委員会があり、さらにその下に4つの部会(後日詳細を確認)があって、運営をしています。もちろん、町からの補助金等はなく、御祝儀や寄付で事業費を繕っています。が、ヤマの修繕などにはやはりお金がかかってきます(額は言えませんがなかなかです)。でも、行政の補助なしで370年間続けるってすごいことだと思います。
そして最近の悩みは、人口減少だそうです。
「20年くらい前か?その時は外(江差出身じゃない)の人は参加できなかった」
と、本町清正山の三国さん。なかなかその地域の伝統行事にいきなり外部の人が参加するのって、やはり思うところはあります。しかし
「でもやっぱりそうも言ってられないのよ。だから北海道大学さんとか教育大学さんとかにも声をかけてるのさ」
と、大古さん。ちなみに今年は教育大学からは私を含み、25名の男女が参加します。
神社の中にしまわれている御神輿たちを見て大古さんは、
「前は2基担いでたんだよ。でも担ぎ手が減って今は1基しか担げない。今年こそ2基出してぇなぁー」
とポツリ。人口減少などの時代変遷もあって、運営する側も大変だそうです。
このような現状にあっても、やはり江差の人たちは渡御祭を実行に移そうと多大な努力をされていて、盛り上げていこう、活気のある渡御祭にしようと懸命に働きかけているのを目の当たりにしました。第1シリーズでも書きましたが、江差の人たちのアツい想いがあって、この渡御祭があるのだな、実感しました。小さな子から大人まで、みんなで最高の渡御祭にしようとしています。今回参加する身として、自分も最高な渡御祭にするための一員として力になりたいと思います。
いよいよ本番が近づいてきました。次回は本番直前の様子を公開しようと思います!ギリギリになりますが、頑張って本番に間に合うように投稿します!笑
次回、「渡御祭直前SP!」です。
姥神大神宮渡御祭シリーズ、続きます!