追跡!江差姥神大神宮渡御祭①
教育
2016/07/28
こんにちは!7月も下旬になり、気温が上がってきて、花火大会もあって、夏っぽくなってきましたね。
夏といえばやはり、「祭り」。筆者はお祭りが大好きです。そんな筆者、今年はとある道南のお祭りに参加します。
「江差姥神大神宮渡御祭」
今から遡ること、373年前に始まったといわれる、北海道内でも有数の歴史があるお祭りです。今回は事前準備から渡御祭当日までの様子を、複数回に分けて連載します。
7月23日、筆者は10何年ぶりに道南江差町を訪れました。なんとなく地元に似ている、人口8000人ほどの漁業と観光の町です。その街で370年以上続くとても歴史のあるお祭りです。今回は渡御祭の副会長であり、大神宮の責任役員である大古正平さん、本町清正山の重鎮(by大古さん)である三国幸吉さん、今年の本町清正山の頭取である若狭巧さんの3名にお話を伺ってきました。
まず、姥神大神宮とは。姥神大神宮にまつわるとある伝説があります。
“いつの昔か、折居(おりい)という姥が江差の津花(現江差町津花)が草庵を営んでいた。折居姥は天変地異を未然に知らせることから折居様と崇められていた。ある日の夜、折居姥は神島(現かもめ島)が光っているのを発見する。そこには白髪の翁がおり、翁は姥に瓶を授け、「この中の水を海中に注げば、鯡(ニシン)という青魚が群来して必ず里人の生活を支えるであろう。」と姥に告げた。実際に言われたとおりに漁をすると本当に群来がきて、町人たちを飢えから救った”(姥神大神宮 資料より)
この伝説が姥神大神宮の由来の1つです。そして、渡御祭の始まりに関する正式な書面等での見解はありませんが、1644年に行われた姥神大神宮の、津花から現在地への御神体渡御が、姥神大神宮渡御祭の始まりとして最有力であるとされています。
また、ニシン漁の豊漁への感謝や町の発展、家族の安泰、商売繁盛などを祈念する祭事でもあります。この年に一度のお祭りを江差町民はものすごく楽しみにしているといいます。お盆より、お正月より、姥神渡御祭。
「渡御祭めがけて帰省してお盆になったらもう帰省を終えてしまうことも珍しくない」by三国さん
「去年の祭りが終わった次の日から毎日、山車(ヤマ、と読みます)の整備、修繕だ!」by若狭さん
そんなことあるんですね…。ちなみに関係者の皆さま、楽しみすぎて取材当日もすでに来年の渡御祭の話をしていました。
なぜそこまで楽しみで、お祭りのことばかり考えるのか。
「370年続く伝統であり誇りだから、やるからには良いものにしたいじゃないの!」
と、若狭さん。また、このようなことも語ってくれました。
「やっぱり時代の変化ってのもある。少子高齢社会で人口減少だし、仮設のトイレだって設置しなければならない。以前は民家のトイレを借りたけど、今はそれが嫌だって人もいる。だから昔のようにできないところもある…んだけどさ、370年続いてきたものをいきなりやめます!っとはならないでしょ!だから、やるからにはある程度その時代背景も気にしつつなんだけど、先輩たちからの伝統を引き継ぐってことさ。」
思わず体が前のめりになってました。やはり伝統を昔のまま引き継ぐことは難しいことです。でも、そんな時代の中でも受け継ぐものは受け継ぐ。やるからには本気で、より良いものにしたい!そんな江差町民の熱が伝わってきました。他にも、大古さんと街を歩いていて、声をかけてきて会う人会う人に姥神渡御祭の取材に来た旨を伝えるとその瞬間、みなさん目が輝きます。姥神大神宮渡御祭とは江差町民が本気120%で臨む、感謝のお祭りである、ということが判明しました。江差町は、お祭りへの熱が熱くて、人の心が篤くて、歴史が厚くて、(気温も暑い)、とても”アツい”街です。こんなアツい街でのお祭り、当日参加する者としてとても楽しみです。
そんな街、お祭りに惹かれるのは私だけでしょうか?
次回、「渡御祭の中身とは??」
姥神大神宮渡御祭シリーズ、続きます!!!
P.S:男女問わず参加したい方まだまだ募っています!!!
*写真協力:姥神大神宮さま